2021-12-25 (土) | 編集 |
ずいぶん間が空いてしまいました。
前回の投稿のあと おこった悲しいできごと。
溺愛していた黒猫の死。
くろ、という名前の彼女は 2002年の4月29日、多摩の里山遊歩道を友人と夫と3人で散歩しているときに遭遇した捨て子です。
捨て子といっても 生まれてすぐ母猫から引き離されたに違いない赤ちゃんです
へその緒と胎盤をつけたままの3匹の、ハツカネズミぐらいしかない猫の赤ん坊が草むらをキーキー泣きながら這いずり回っていた。
前を歩く中年女性のグループが先にみつけ「かわいそうに」などと騒いでいて気づきました。
かわいそう、といいつつ誰一人連れ帰ろうとはしません。
そのまま置いておけばカラスに食われるか、干からびるかの二択なのに。
猫の赤ん坊というのは排泄すら自力でできないのです。
母猫がお尻をなめて刺激してやらないとおしっこすら出せなくてそのまま死んでしまいます。
そして保温も必要。
遭遇してしまったら放置はできないでしょう?
とにかく3匹を連れ帰り、その足でホームセンターに行って猫ミルクや哺乳瓶を探し
その日から悪戦苦闘が始まった。
夫の掌に三匹らくらく載ってしまうほど小さな命たち。
当時うちには既に3匹いて満杯だったのですが
とにかく育てて 里親を探そう、となりました。
ミルクもうまく飲んでくれなくて獣医さんに相談しながらあらゆる方法を試し、2人で交代でリビングで寝泊まりして、「寝ずの番」でした。3時間ごとにお腹をすかせて目を覚まして鳴くのでそのたびに起きて猫ミルクを人肌につくって 順番に飲ませて、そのあとお尻を濡らしたコットンでなでて排尿させる。小一時間かかります。
そうやって苦労して育てて 1匹は途中で亡くなってしまい、1匹は無事里親を見つけすだち、当初の予感通り手放せくなった黒猫が「くろちん」です。
それから19年余。
16歳ごろからは腎不全となってしまい療法食や補液などケアしながらの日々。
猫は我慢強い動物で、じっとその具合悪い状態に適応させて頑張ってしまいます。
少しずつ数値は悪化し 腎性貧血もだんだん進行し、今年の夏前からは造血ホルモン注射が必要になりました。
歯石がたまったりしたのは知っていたのですが猫は人間みたく歯石取りをさせてくれません。
やるとなると全身麻酔で高齢猫にはリスクが高すぎて現実には打つ手がありませんでした。
腎不全が進行すると免疫も低下してゆきます。
貧血もひどくなってきてますますです。
10月に入る頃 歯周病悪化からか痛みでご飯が食べられなくなってしまったのでした。
10月頭の2ヶ月ぶりの血液検査でいきなりBUNやCREAが急上昇していて真っ青に。
ステロイド注射で痛みが一時収まり、飲食は復活したのですが、2週間ほどで効果が切れてきて
今度はお水も飲めなくなってしまった。
貧血の値はもちろん、BUNやCREAが検査メーター振り切れて、希釈して計測しないとならないほどになり、
「生きているのが不思議」なほどの悪化となりました。
もう腎臓の機能は使い切ってしまった状態だったと思います。
10月26日からは強制給餌に踏み切りました。
それでも4-5日はその甲斐あってか頑張っていたのです。
【instagram:動画:2021.10.26 獣医さんにて】
https://www.instagram.com/p/CVK84ukhlqc/?hl=ja
足がよろける感じが日々に強くなっていきました。
それでも11月1日まではなんとか歩けました。
【instagram:動画:2021.11.1の様子。こんな風にへんなよろけ方をする
このあと 日に日に、まるで足の中枢神経がおかしくなってるような 壊れ方をしてゆきます。
それでも生きていたい!という気力やきらめきは感じられていて、
11月1日の夜、玄関から外に行きたそうな様子をしていたのでした。
玄関の前でたたずむくろちん。
しばらく座り込んで夜の空気を嗅いで、ゆっくりあたりを見回して。ゆっくり立ち上がり、階段のところに行って座る。「降りるの?その脚で?」とハラハラしている私をよそに、意を決したように一段一段、夜のお外に降りてゆく。
10段の階段をゆっくり降りて、道路を見つめて座り込む。
なんだか懐かしそうにすら見える。
またしばらくして、ゆっくり立ち上がる。
脚を踏み出す。
道路の途中でで座り込む。
しばらく付き添ってから抱き上げて道路の反対側のポケットパークに降ろす。
好きだった場所のひとつ。
何度も母さんと草を食みに来て歩いた。
街灯の灯りの下、くろは外の空気を味わうように ゆっくり 歩く。
街灯の下にうかびあがる彼女。
奇跡のように美しいシーンに映りました。
ふと、こうやって此処を歩くくろの姿がもう見られなくなる予感がして、撮影する。


【最後のおさんぽ】(動画)
10段の階段を自力で登ったあとは、 玄関前で座り込む。
このあとも 家に入ろうとはせず、 この画像の左奥のほうのお庭に移動して また 座っていました。

ほんとうに 次の日には まともに歩くこともできなくなりました。
足が身体をまるで支えられず アメンボのように四肢をひらべったく広げて ずるように 床を動くことはできても。
それでも全身の力を振り絞ってときおり 少しの間だかけ 倒れそうな様子で立って数歩歩くことがある。
でも階段はもう・・・
1日ごとに 失われてゆく命のかけら。
そして 11月5日金曜。
「最後のおさんぽ」の動画から4日後
朝から身体の力がひとつも感じられず 抱き上げても人形か死体のようでした。
そして夜 急変し、最後に長い痙攣をして そして とうとう終わってしまいました
日曜日に 葬式をしました。
チョビやピートやマノンと同じように同じお寺で家族葬
庭のお花をたくさん棺に入れて。

すでに4匹の骨壷があるところに5つめ。
くろちんはここ1-2年は 音楽室を個室として そこに住まわせていました。
もう一匹のオスの黒猫のジジ君と仲が良くなかったためです。
ストレスになるし 療法食の管理もあるのでそうしていました。
音楽室は温度もいつも管理してあるしね
私が楽器を弾くとき いつも 猫ベッドやホットマットや ピアノの上で寝ていて
ときおり 撫でてほしくて 足元にやってくる。
練習の手を止めて、くろの好きなブラッシングをしてやると 喉をゴロゴロ鳴らしてた
くろのいない音楽室、というのが耐えられなくて 亡くなって2週間ぐらいは 部屋に入るのが辛くて
楽器も触れませんでした。
等身大の写真をプリントしてもらって飾ったり、ぬいぐるみに生涯縁がなかった私が黒猫のぬいぐるみを飾ったり、
レジン製の黒猫の置物を2つも買って置いたり・・・
写真の中の彼女に語りかけながら とつとつとまた楽器を弾く。
11月末にほぼ2ヶ月ぶりに チェロのレッスンを再開するまで ほんとに音楽室滞在時間は短かったです。
12月23日が49日でした。
今は チェロもピアノもバッハばかりさらっています。
1月5日の午後に、調布のたづくりホールの「くすのきホール」で ちょっとした本番に参加することになっていたので
そのためのレッスンと練習。
「木の芽の会」というコンサートです。
複数の先生方のお弟子さんが集うようです。
無伴奏の2番から プレリュード、アルマンド、クーラントとジーグを弾きます。
10年ぶりの2番です。
今の自分のメンタルにも d moll は合っています。
直前なのにまだ詳しい時間がわからないんですが 午後、とのことでした。
お時間合う方いらしたら 聴いていただけたらうれしいです。
非公開コメントなどでご連絡いただければと思います。

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前回の投稿のあと おこった悲しいできごと。
溺愛していた黒猫の死。
くろ、という名前の彼女は 2002年の4月29日、多摩の里山遊歩道を友人と夫と3人で散歩しているときに遭遇した捨て子です。
捨て子といっても 生まれてすぐ母猫から引き離されたに違いない赤ちゃんです
へその緒と胎盤をつけたままの3匹の、ハツカネズミぐらいしかない猫の赤ん坊が草むらをキーキー泣きながら這いずり回っていた。
前を歩く中年女性のグループが先にみつけ「かわいそうに」などと騒いでいて気づきました。
かわいそう、といいつつ誰一人連れ帰ろうとはしません。
そのまま置いておけばカラスに食われるか、干からびるかの二択なのに。
猫の赤ん坊というのは排泄すら自力でできないのです。
母猫がお尻をなめて刺激してやらないとおしっこすら出せなくてそのまま死んでしまいます。
そして保温も必要。
遭遇してしまったら放置はできないでしょう?
とにかく3匹を連れ帰り、その足でホームセンターに行って猫ミルクや哺乳瓶を探し
その日から悪戦苦闘が始まった。
夫の掌に三匹らくらく載ってしまうほど小さな命たち。
当時うちには既に3匹いて満杯だったのですが
とにかく育てて 里親を探そう、となりました。
ミルクもうまく飲んでくれなくて獣医さんに相談しながらあらゆる方法を試し、2人で交代でリビングで寝泊まりして、「寝ずの番」でした。3時間ごとにお腹をすかせて目を覚まして鳴くのでそのたびに起きて猫ミルクを人肌につくって 順番に飲ませて、そのあとお尻を濡らしたコットンでなでて排尿させる。小一時間かかります。
そうやって苦労して育てて 1匹は途中で亡くなってしまい、1匹は無事里親を見つけすだち、当初の予感通り手放せくなった黒猫が「くろちん」です。
それから19年余。
16歳ごろからは腎不全となってしまい療法食や補液などケアしながらの日々。
猫は我慢強い動物で、じっとその具合悪い状態に適応させて頑張ってしまいます。
少しずつ数値は悪化し 腎性貧血もだんだん進行し、今年の夏前からは造血ホルモン注射が必要になりました。
歯石がたまったりしたのは知っていたのですが猫は人間みたく歯石取りをさせてくれません。
やるとなると全身麻酔で高齢猫にはリスクが高すぎて現実には打つ手がありませんでした。
腎不全が進行すると免疫も低下してゆきます。
貧血もひどくなってきてますますです。
10月に入る頃 歯周病悪化からか痛みでご飯が食べられなくなってしまったのでした。
10月頭の2ヶ月ぶりの血液検査でいきなりBUNやCREAが急上昇していて真っ青に。
ステロイド注射で痛みが一時収まり、飲食は復活したのですが、2週間ほどで効果が切れてきて
今度はお水も飲めなくなってしまった。
貧血の値はもちろん、BUNやCREAが検査メーター振り切れて、希釈して計測しないとならないほどになり、
「生きているのが不思議」なほどの悪化となりました。
もう腎臓の機能は使い切ってしまった状態だったと思います。
10月26日からは強制給餌に踏み切りました。
それでも4-5日はその甲斐あってか頑張っていたのです。
【instagram:動画:2021.10.26 獣医さんにて】
https://www.instagram.com/p/CVK84ukhlqc/?hl=ja
足がよろける感じが日々に強くなっていきました。
それでも11月1日まではなんとか歩けました。
【instagram:動画:2021.11.1の様子。こんな風にへんなよろけ方をする
このあと 日に日に、まるで足の中枢神経がおかしくなってるような 壊れ方をしてゆきます。
それでも生きていたい!という気力やきらめきは感じられていて、
11月1日の夜、玄関から外に行きたそうな様子をしていたのでした。
玄関の前でたたずむくろちん。
しばらく座り込んで夜の空気を嗅いで、ゆっくりあたりを見回して。ゆっくり立ち上がり、階段のところに行って座る。「降りるの?その脚で?」とハラハラしている私をよそに、意を決したように一段一段、夜のお外に降りてゆく。
10段の階段をゆっくり降りて、道路を見つめて座り込む。
なんだか懐かしそうにすら見える。
またしばらくして、ゆっくり立ち上がる。
脚を踏み出す。
道路の途中でで座り込む。
しばらく付き添ってから抱き上げて道路の反対側のポケットパークに降ろす。
好きだった場所のひとつ。
何度も母さんと草を食みに来て歩いた。
街灯の灯りの下、くろは外の空気を味わうように ゆっくり 歩く。
街灯の下にうかびあがる彼女。
奇跡のように美しいシーンに映りました。
ふと、こうやって此処を歩くくろの姿がもう見られなくなる予感がして、撮影する。


【最後のおさんぽ】(動画)
10段の階段を自力で登ったあとは、 玄関前で座り込む。
このあとも 家に入ろうとはせず、 この画像の左奥のほうのお庭に移動して また 座っていました。

ほんとうに 次の日には まともに歩くこともできなくなりました。
足が身体をまるで支えられず アメンボのように四肢をひらべったく広げて ずるように 床を動くことはできても。
それでも全身の力を振り絞ってときおり 少しの間だかけ 倒れそうな様子で立って数歩歩くことがある。
でも階段はもう・・・
1日ごとに 失われてゆく命のかけら。
そして 11月5日金曜。
「最後のおさんぽ」の動画から4日後
朝から身体の力がひとつも感じられず 抱き上げても人形か死体のようでした。
そして夜 急変し、最後に長い痙攣をして そして とうとう終わってしまいました
日曜日に 葬式をしました。
チョビやピートやマノンと同じように同じお寺で家族葬
庭のお花をたくさん棺に入れて。

すでに4匹の骨壷があるところに5つめ。
くろちんはここ1-2年は 音楽室を個室として そこに住まわせていました。
もう一匹のオスの黒猫のジジ君と仲が良くなかったためです。
ストレスになるし 療法食の管理もあるのでそうしていました。
音楽室は温度もいつも管理してあるしね
私が楽器を弾くとき いつも 猫ベッドやホットマットや ピアノの上で寝ていて
ときおり 撫でてほしくて 足元にやってくる。
練習の手を止めて、くろの好きなブラッシングをしてやると 喉をゴロゴロ鳴らしてた
くろのいない音楽室、というのが耐えられなくて 亡くなって2週間ぐらいは 部屋に入るのが辛くて
楽器も触れませんでした。
等身大の写真をプリントしてもらって飾ったり、ぬいぐるみに生涯縁がなかった私が黒猫のぬいぐるみを飾ったり、
レジン製の黒猫の置物を2つも買って置いたり・・・
写真の中の彼女に語りかけながら とつとつとまた楽器を弾く。
11月末にほぼ2ヶ月ぶりに チェロのレッスンを再開するまで ほんとに音楽室滞在時間は短かったです。
12月23日が49日でした。
今は チェロもピアノもバッハばかりさらっています。
1月5日の午後に、調布のたづくりホールの「くすのきホール」で ちょっとした本番に参加することになっていたので
そのためのレッスンと練習。
「木の芽の会」というコンサートです。
複数の先生方のお弟子さんが集うようです。
無伴奏の2番から プレリュード、アルマンド、クーラントとジーグを弾きます。
10年ぶりの2番です。
今の自分のメンタルにも d moll は合っています。
直前なのにまだ詳しい時間がわからないんですが 午後、とのことでした。
お時間合う方いらしたら 聴いていただけたらうれしいです。
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