2018-10-27 (土) | 編集 |
このところ 毎日 バッハを弾く。
今の練習メニューは 久々に引っ張り出したMERKのETUDEの4番と、バッハ
プラスアルファでそろそろ練習にとりかかるべきな ブラームスのソナタ1番 をちょこちょこ。
室内楽案件のソロ部分の弾けないところの練習。
バッハは レッスン受ける6番のガヴォットとジーグ以外に
いくつかさらう。
半年以上、 シューマンやらショスタコやら ピアノとのアンサンブルでの曲ばかりに全力をあげてきた反動なのだろうか、
突然 バッハばかり弾きたくなってる病。
アンサンブルの良さは置いておいて、
無伴奏のこの曲は 100%自分だけの音楽として弾ける事が最大のポイントなんだな。。。
少し 「人疲れ」してるんだと思う。
(あ、ピアニストさんに疲れるってことはないんです。 もっと いろいろな意味で ・・・)
プライベートで一切 人付き合いをしない夫と異なり、
私は何かと人を集めて いろいろやる方である。
室内楽だってそのひとつだろう。
誰かに誘われて弾くより こちらで企画して 人を集めて やってる方が多い。
後輩の面倒みたりもする。
それでいて基本的には ひとりが一番好きなのだ。
変な母親のせいで、 小さいときから私は異端だったと感じる。
小学校にあがったとき、 母親が私に与えたのは 「黒いランドセル」だ。
「女の子なら赤」 という固定観念に疑問を感じた母の アンチテーゼだったようだけど
なら ランドセルそのものを否定すればいいのに! と 大人になって思った。
だからって 黒。
黒いランドセル。
黒いランドセルを背負わせれて小学校に通う娘の気持ちは?
でも 人と違って目立つこと には そうやって慣れさせられたともいえる。
育つとともに 人と感覚が違うのは自覚しだしていた。
ひとりで平気だったし。 ひとりで遊ぶのも好きだった。
ただ、勉強はよく出来て いつも100点。
もともと楽器をやっていたから 友達と一緒に遊ぶ時間は少なかった。
友達と違うのが 自分にとって当たり前の日常となっていたんだろう。
私は小学校で2回転校した。
2回目は小学校5年のときで、国立市の小学校に行った。
ここで生まれて初めて ひどくいじめられたっけ。
ここは5段階評価で成績表をつけないところで、
「よくできている」とかそういう欺瞞に満ちた(笑) 美辞麗句の通知表。
私は思いっきり異文化からやってきた子供だったんじゃないか。
かなり陰険にいじめられて 登校拒否になりかかったのを覚えている。
でも母親は強すぎる人で、 そんな娘を、断固として逃げさせてくれなかった。
運よく生き延びたからいいけどねえ・・・ 辛かった。
幸い 2年もない小学校生活で、中学に上がったら 普通の成績評価をする文化に戻ったため
それまで威張っていたいじめっ子と立場が逆転し、普通に過ごせるようになって事なきを得たのだ。
でも 「ちょっと変わった子」 としての私はその後ずっと続いた。
ひとりで色んなことをするのが一番好きで、 ぼーっとする、 あちこち歩き回って探索する、
詩を書く、 音楽を聴く、 本を読む、 映画もひとりで行く。
自由を束縛されたり鑑賞されるのが最も苦痛だから 群れの中にいるのが辛い。
・・・人生の途中経過は省略するけど そういう人生。
恋人だけが 唯一 心を許す、人生に必要な存在で 他の人とはあまり過ごさない、 そんな感じだった。
恋人以外は他人、って人生だったような。
たまに人と過ごすのは楽しいのだが 常にというのが無理なのだ。
窒息しそうになるのだ・・・
社会不適応と言わば云え (^^;
そんな私に一番向いてるのは無伴奏。
バッハこそ命。
いや 室内楽は 面白いんですけどね・・
それも 深く掘り下げたくなっちゃうから 周りの人と なかなか嗜好性が合わないんだなあ。
孤独にはバッハが似合う、ってわけでしょうか。
バッハ、いいよね。
バッハ、 自分の内部との語らいみたいで。
明日もバッハ弾こうっと。

にほんブログ村
今の練習メニューは 久々に引っ張り出したMERKのETUDEの4番と、バッハ
プラスアルファでそろそろ練習にとりかかるべきな ブラームスのソナタ1番 をちょこちょこ。
室内楽案件のソロ部分の弾けないところの練習。
バッハは レッスン受ける6番のガヴォットとジーグ以外に
いくつかさらう。
半年以上、 シューマンやらショスタコやら ピアノとのアンサンブルでの曲ばかりに全力をあげてきた反動なのだろうか、
突然 バッハばかり弾きたくなってる病。
アンサンブルの良さは置いておいて、
無伴奏のこの曲は 100%自分だけの音楽として弾ける事が最大のポイントなんだな。。。
少し 「人疲れ」してるんだと思う。
(あ、ピアニストさんに疲れるってことはないんです。 もっと いろいろな意味で ・・・)
プライベートで一切 人付き合いをしない夫と異なり、
私は何かと人を集めて いろいろやる方である。
室内楽だってそのひとつだろう。
誰かに誘われて弾くより こちらで企画して 人を集めて やってる方が多い。
後輩の面倒みたりもする。
それでいて基本的には ひとりが一番好きなのだ。
変な母親のせいで、 小さいときから私は異端だったと感じる。
小学校にあがったとき、 母親が私に与えたのは 「黒いランドセル」だ。
「女の子なら赤」 という固定観念に疑問を感じた母の アンチテーゼだったようだけど
なら ランドセルそのものを否定すればいいのに! と 大人になって思った。
だからって 黒。
黒いランドセル。
黒いランドセルを背負わせれて小学校に通う娘の気持ちは?
でも 人と違って目立つこと には そうやって慣れさせられたともいえる。
育つとともに 人と感覚が違うのは自覚しだしていた。
ひとりで平気だったし。 ひとりで遊ぶのも好きだった。
ただ、勉強はよく出来て いつも100点。
もともと楽器をやっていたから 友達と一緒に遊ぶ時間は少なかった。
友達と違うのが 自分にとって当たり前の日常となっていたんだろう。
私は小学校で2回転校した。
2回目は小学校5年のときで、国立市の小学校に行った。
ここで生まれて初めて ひどくいじめられたっけ。
ここは5段階評価で成績表をつけないところで、
「よくできている」とかそういう欺瞞に満ちた(笑) 美辞麗句の通知表。
私は思いっきり異文化からやってきた子供だったんじゃないか。
かなり陰険にいじめられて 登校拒否になりかかったのを覚えている。
でも母親は強すぎる人で、 そんな娘を、断固として逃げさせてくれなかった。
運よく生き延びたからいいけどねえ・・・ 辛かった。
幸い 2年もない小学校生活で、中学に上がったら 普通の成績評価をする文化に戻ったため
それまで威張っていたいじめっ子と立場が逆転し、普通に過ごせるようになって事なきを得たのだ。
でも 「ちょっと変わった子」 としての私はその後ずっと続いた。
ひとりで色んなことをするのが一番好きで、 ぼーっとする、 あちこち歩き回って探索する、
詩を書く、 音楽を聴く、 本を読む、 映画もひとりで行く。
自由を束縛されたり鑑賞されるのが最も苦痛だから 群れの中にいるのが辛い。
・・・人生の途中経過は省略するけど そういう人生。
恋人だけが 唯一 心を許す、人生に必要な存在で 他の人とはあまり過ごさない、 そんな感じだった。
恋人以外は他人、って人生だったような。
たまに人と過ごすのは楽しいのだが 常にというのが無理なのだ。
窒息しそうになるのだ・・・
社会不適応と言わば云え (^^;
そんな私に一番向いてるのは無伴奏。
バッハこそ命。
いや 室内楽は 面白いんですけどね・・
それも 深く掘り下げたくなっちゃうから 周りの人と なかなか嗜好性が合わないんだなあ。
孤独にはバッハが似合う、ってわけでしょうか。
バッハ、いいよね。
バッハ、 自分の内部との語らいみたいで。
明日もバッハ弾こうっと。
スポンサーサイト

にほんブログ村