2013-12-09 (月) | 編集 |
中学三年間、deepなBeatlesフリークでした。
何事も妥協なく研究する性格だったから
手に入る文献は全て目を通し、音源はbootlegまで網羅し、
全曲和訳に取り組んだりもしました。
※中学生の私がです。
私はPaulには音楽的にも外見的にも、あまり興味がなく、
見た目ではGeorge、詩と声でJohnが好きでした。
Johnというと、みな、Imagineのような
平和や反戦のメッセージソングを前面に持ってくるようですが
私は個人的には
Oh my love
Love
Jelous Guy
のような、私的な事情に耽溺した世界こそがJohnの本質だったように感じています。
井上陽水の「傘がない」じゃありませんが
重たい世間のニュースよりも、自分自身にリアルに重いのは そういう私的事情、というか。
Johnは「親に見捨てられた子供」です。
父親は去り、母親は他の男と同棲し、
親の替わりにミミ伯母さんという人に育てられました。
この、母親に捨てられたという傷(原体験)は根深く、
彼の生涯の色彩を決定するベースになっていたように感じます。
YOKOとの絆は、その点を抜きにして語れないように思います。
Mother, you had me but I never had you
I wanted you but you didn't want me
So I got to tell you
Goodbye goodbye
・
Father, you left me but I never left you
I needed you but you didn't need me
So I just got to tell you
Goodbye goodbye
・
Children, don't do what I have done
I couldn't walk and I tried to run
So I got to tell you
Goodbye goodbye
・
Mama don't go
Daddy come home
母さん 僕はあなたのものだったけど
あなたは僕のものじゃなかった
僕はあなたを求めていたのに
あなたは僕を求めてはいなかった
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
父さん あなたは僕を見捨てた
僕はあなたを見捨てなかったのに
僕はあなたを必要としたのに
あなたは僕なんか必要としなかった
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
子どもたちよ 僕のやったことを
繰り返してはいけないよ
僕は満足に歩けもしなかったのに
無理に走ろうとしたのさ
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
ママ 行かないで
ダディ 戻ってきて
(山本安見 訳)
ラストの
Mama don't go
Daddy come home
というのは悲鳴のように延々繰り返されfade outしてゆきます。
この曲を書いた時期でしたか、
アメリカで彼はprimal screamという精神分析療法を受けていました。
医師が質問しながら、どんどん記憶を遡らせていく、
覚えている限りの古い記憶を、思い出す順に語らせるのです。
辛い記憶ほど、簡単には思い出さない。
長い時間をかけて最後の最後に出て来る悲鳴のような叫び声、
それがその人の最初に受けた抑制、傷であると。
ジョンの場合はそれが
「ママ!」
だったとか。
そういう地盤があってこその、
離婚を経てまで手に入れたYokoという魂の片割れへの想いがあるのでしょう。
苦しみの果てに本当の愛を手に入れた人の、
心に染み入るような詩です。
Oh my love, for the first time in my life
My eyes are wide open
Oh my lover, for the first time in my life
My eyes can see
I see the wind, oh, I see the trees
Every thing is clear in my heart
I see the clouds, oh, I see the sky
Everything is clear in our world
Oh my lover, for the first time in my life
My mind is wide open
Oh my love, for the first time in my life
My mind can feel
I feel the sorrow, oh, I feel dreams
Everything is clear in my heart
I feel life, oh, I feel love
Everything is clear in our world
愛する人よ
僕の人生で今初めて
僕の目が開かれる
愛する人よ
人生で初めて
僕の目は 見えている
風をみる
樹々を見る
すべてが 心に鮮明だ
雲を見る
空を見る
すべてが 僕の世界に くっきりと映る
愛する人
生きていて初めて いま
心が開けている
愛する人
生きてきて初めて いま
私の心は 感じることが出来るの
悲しみ
夢
なにもかもが心に鮮やか
いのち
愛
すべてが私の世界にはっきり感じられる

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何事も妥協なく研究する性格だったから
手に入る文献は全て目を通し、音源はbootlegまで網羅し、
全曲和訳に取り組んだりもしました。
※中学生の私がです。
私はPaulには音楽的にも外見的にも、あまり興味がなく、
見た目ではGeorge、詩と声でJohnが好きでした。
Johnというと、みな、Imagineのような
平和や反戦のメッセージソングを前面に持ってくるようですが
私は個人的には
Oh my love
Love
Jelous Guy
のような、私的な事情に耽溺した世界こそがJohnの本質だったように感じています。
井上陽水の「傘がない」じゃありませんが
重たい世間のニュースよりも、自分自身にリアルに重いのは そういう私的事情、というか。
Johnは「親に見捨てられた子供」です。
父親は去り、母親は他の男と同棲し、
親の替わりにミミ伯母さんという人に育てられました。
この、母親に捨てられたという傷(原体験)は根深く、
彼の生涯の色彩を決定するベースになっていたように感じます。
YOKOとの絆は、その点を抜きにして語れないように思います。
Mother, you had me but I never had you
I wanted you but you didn't want me
So I got to tell you
Goodbye goodbye
・
Father, you left me but I never left you
I needed you but you didn't need me
So I just got to tell you
Goodbye goodbye
・
Children, don't do what I have done
I couldn't walk and I tried to run
So I got to tell you
Goodbye goodbye
・
Mama don't go
Daddy come home
母さん 僕はあなたのものだったけど
あなたは僕のものじゃなかった
僕はあなたを求めていたのに
あなたは僕を求めてはいなかった
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
父さん あなたは僕を見捨てた
僕はあなたを見捨てなかったのに
僕はあなたを必要としたのに
あなたは僕なんか必要としなかった
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
子どもたちよ 僕のやったことを
繰り返してはいけないよ
僕は満足に歩けもしなかったのに
無理に走ろうとしたのさ
だから 僕はいうんだ
あばよ さよなら
・
ママ 行かないで
ダディ 戻ってきて
(山本安見 訳)
ラストの
Mama don't go
Daddy come home
というのは悲鳴のように延々繰り返されfade outしてゆきます。
この曲を書いた時期でしたか、
アメリカで彼はprimal screamという精神分析療法を受けていました。
医師が質問しながら、どんどん記憶を遡らせていく、
覚えている限りの古い記憶を、思い出す順に語らせるのです。
辛い記憶ほど、簡単には思い出さない。
長い時間をかけて最後の最後に出て来る悲鳴のような叫び声、
それがその人の最初に受けた抑制、傷であると。
ジョンの場合はそれが
「ママ!」
だったとか。
そういう地盤があってこその、
離婚を経てまで手に入れたYokoという魂の片割れへの想いがあるのでしょう。
苦しみの果てに本当の愛を手に入れた人の、
心に染み入るような詩です。
Oh my love, for the first time in my life
My eyes are wide open
Oh my lover, for the first time in my life
My eyes can see
I see the wind, oh, I see the trees
Every thing is clear in my heart
I see the clouds, oh, I see the sky
Everything is clear in our world
Oh my lover, for the first time in my life
My mind is wide open
Oh my love, for the first time in my life
My mind can feel
I feel the sorrow, oh, I feel dreams
Everything is clear in my heart
I feel life, oh, I feel love
Everything is clear in our world
愛する人よ
僕の人生で今初めて
僕の目が開かれる
愛する人よ
人生で初めて
僕の目は 見えている
風をみる
樹々を見る
すべてが 心に鮮明だ
雲を見る
空を見る
すべてが 僕の世界に くっきりと映る
愛する人
生きていて初めて いま
心が開けている
愛する人
生きてきて初めて いま
私の心は 感じることが出来るの
悲しみ
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なにもかもが心に鮮やか
いのち
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2013-12-05 (木) | 編集 |
ライブハウスでの忘年会は楽しかったです。
音楽を心底楽しいと感じながら燃えたのは久しぶりかもしれません。
ピアノ(といってもキーボードです)もチェロも弾き散らかしました。
勝手にキーボードの前に陣取って、つらつらと思いつくままにメドレーでBGM弾いてました。
高校、大学にかけてのほんの一時期だけど、バンドでキーボードやったりしてた頃を思い出しました。
久しぶりだから無難にBEATLES あたりを弾いてましたけど、それが楽しくて。
クラシック関係だけでなく、ロック関係はじめクロスオーバーなゲストの面々がいらしたようです。
チェロではチェロ友とVIVALDIのSONATA No.5を 2 celloで弾き、
簡単なチェロアン曲も3人でやり、
あとは前述のような勝手なピアノのBGMと
ラストに主催者のひとりの方のトランペットのピアノ伴奏で2曲ほど。
ひとつは当日突然の「愛の讃歌」、これがサビ以外の旋律殆ど覚えてないときた。
旋律を覚えてればコードつけて簡単に弾けるんだけど真ん中部分の旋律覚えてないからヤバかった。
でもコード縛りのみであとは自由に弾けるのは楽しいですね。
「楽譜」がない自由さというんでしょうか。
ゲストの中のロック関係?のレコーディング技師さん?が、VIVALDIを聴いて「あれはロック(プログレ)だ!」と喜んでくれたそうで、なんか猛烈に嬉しかったですね。
私は少々はみ出し者なんじゃないかと常々思ってましたが、この日は多分相当生き生き弾いてたんじゃないかな?
掛け値なしに楽しかったですから。
もともと「決まり事」が大嫌いだからかもしれません。
で、弾き散らかしピアノを聴いてた、仕掛け人のひとりが、
ゲストで来ていた某プロのVoc+Gtの2人に声をかけ、余興でLET IT BEのセッションをやることになり、めっちゃ楽しかったです。
またやりたいなあ、ああいうの。
そういえば私、中学の頃、作曲にもハマってたんだっけ。
(クラスメイトが書いた歌詞に私が曲をつけるっての)
ちょうど音高受験準備で、国音の作曲科の先生のところにソルフェージュと和声を習いに行ってて、
本来のレッスンそっちのけで作った曲のアレンジやアドバイスもらってた記憶がありますね。
イラスト描いたり、歌ったり、
要するに歌舞音曲に耽溺する、、、、そういうのが好きな人間が
なんで畑違いのコンピュータなんかやる羽目になったのか、、、
それこそ、あちこしの分岐点で、あまり適切でない選択を漫然と積み重ねてしまった結果?
我ながら、取り返しがつかないほど道を誤ったと思います。
バカだなぁほんと。
楽しい一夜のあとは、再び、地味な地味な修行の日々に戻っております。
ま、目先は14日のMozartのa moll(ピアノソナタ)をどうにかクリアするべし。

(写真は サプライズゲストの巨匠Gérard Poulet氏 )
http://homepage3.nifty.com/gerard-poulet/

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音楽を心底楽しいと感じながら燃えたのは久しぶりかもしれません。
ピアノ(といってもキーボードです)もチェロも弾き散らかしました。
勝手にキーボードの前に陣取って、つらつらと思いつくままにメドレーでBGM弾いてました。
高校、大学にかけてのほんの一時期だけど、バンドでキーボードやったりしてた頃を思い出しました。
久しぶりだから無難にBEATLES あたりを弾いてましたけど、それが楽しくて。
クラシック関係だけでなく、ロック関係はじめクロスオーバーなゲストの面々がいらしたようです。
チェロではチェロ友とVIVALDIのSONATA No.5を 2 celloで弾き、
簡単なチェロアン曲も3人でやり、
あとは前述のような勝手なピアノのBGMと
ラストに主催者のひとりの方のトランペットのピアノ伴奏で2曲ほど。
ひとつは当日突然の「愛の讃歌」、これがサビ以外の旋律殆ど覚えてないときた。
旋律を覚えてればコードつけて簡単に弾けるんだけど真ん中部分の旋律覚えてないからヤバかった。
でもコード縛りのみであとは自由に弾けるのは楽しいですね。
「楽譜」がない自由さというんでしょうか。
ゲストの中のロック関係?のレコーディング技師さん?が、VIVALDIを聴いて「あれはロック(プログレ)だ!」と喜んでくれたそうで、なんか猛烈に嬉しかったですね。
私は少々はみ出し者なんじゃないかと常々思ってましたが、この日は多分相当生き生き弾いてたんじゃないかな?
掛け値なしに楽しかったですから。
もともと「決まり事」が大嫌いだからかもしれません。
で、弾き散らかしピアノを聴いてた、仕掛け人のひとりが、
ゲストで来ていた某プロのVoc+Gtの2人に声をかけ、余興でLET IT BEのセッションをやることになり、めっちゃ楽しかったです。
またやりたいなあ、ああいうの。
そういえば私、中学の頃、作曲にもハマってたんだっけ。
(クラスメイトが書いた歌詞に私が曲をつけるっての)
ちょうど音高受験準備で、国音の作曲科の先生のところにソルフェージュと和声を習いに行ってて、
本来のレッスンそっちのけで作った曲のアレンジやアドバイスもらってた記憶がありますね。
イラスト描いたり、歌ったり、
要するに歌舞音曲に耽溺する、、、、そういうのが好きな人間が
なんで畑違いのコンピュータなんかやる羽目になったのか、、、
それこそ、あちこしの分岐点で、あまり適切でない選択を漫然と積み重ねてしまった結果?
我ながら、取り返しがつかないほど道を誤ったと思います。
バカだなぁほんと。
楽しい一夜のあとは、再び、地味な地味な修行の日々に戻っております。
ま、目先は14日のMozartのa moll(ピアノソナタ)をどうにかクリアするべし。

(写真は サプライズゲストの巨匠Gérard Poulet氏 )
http://homepage3.nifty.com/gerard-poulet/

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2013-11-04 (月) | 編集 |
4番のレッスンメモで少し出てきた付点の長さについて、補足。
※一般にロマン派中期までの音楽では、曲によっては、「付点のリズム」で書かれたリズムを、3:1ではなく、2:1、5:1等々に分割すべきことがある。ロマン派中期以降のクラシック音楽で正確に3:1と捉えるのが一般的
付点についてはシューベルトの付点についての次のサイトも参考になります。
シューベルトの三連符と付点音型の関係

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※一般にロマン派中期までの音楽では、曲によっては、「付点のリズム」で書かれたリズムを、3:1ではなく、2:1、5:1等々に分割すべきことがある。ロマン派中期以降のクラシック音楽で正確に3:1と捉えるのが一般的
付点についてはシューベルトの付点についての次のサイトも参考になります。
シューベルトの三連符と付点音型の関係

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2013-08-27 (火) | 編集 |

振り向き猫 posted by (C)Guillaume
4月に腱鞘炎になり、6月に首を傷めて、
7月になって弾くことが不可能になり、
治るまで楽器を手放さなければ取り返しが付かないことになりそうだ、と、
さすがに思い知ったのが7月中旬。
それから1ケ月半。
チェロは8月本番のための最小限だけにとどめる決意をして休養。
8月にチェロに触った時間数を合計してもきっと6時間ぐらいじゃないだろうか?
この5年でこんなに弾かなかったことは、嘗てなかった。
最初は、気落ち。
無気力。
苦労して積み上げたものを全部失うような恐怖。
そのうちに、かつて感じていた、時間を自由に使える、あの、怠惰でのんびりした気分を思い出す。
ワーカホリックと同じだったかなぁ。
友達のVn女子が「練習でついた悪い癖も抜けるから!」と励ましてくれたけど、
(デトックスと同じ?)果たして抜けたのでしょうか。
やる気がない程度が丁度いいのでしょうか。
このままで居たい気分があるのは事実だけど
幸か不幸か10月5日に他人と本番のスケジュールを組んである。
それがなかったら、このままfade out しちゃおうかと思ったけど
「SchumannとChopinのLargoを弾く」と約束したピアニストとの合わせが来週あるし
重い腰を上げて、今日、お試しでチェロを引っ張りだした。
ああ面倒だ。
蓋を開けて座れば弾けるピアノと違って
音を出すまでの手順が面倒過ぎる。
下僕(!)が居て、調弦も済ませて弓も張って、ヤニもぬって、
練習用の鏡もセッティングしてくれて、
「はいどうぞ」って準備してくれたらいいのに、、、
とケシカランことを考える。
チェリストの風上にもおけない私である。
実は最初、鏡設置をはしょって、ロングトーンと弓分割から開始したものの
どうも調子が出なくて、
途中でしぶしぶ鏡を引っ張りだした。
右手、ちがーう!と気付き、矯正して、なんとか。
まだまだダメですね。見ないと直らないようでは。
当面、あまり余計なエチュードとかは中止しようと思った。
そもそも楽しくないし、腱鞘炎を刺激したくないし。
メトロノームを使ったロングトーンと弓分割と 手抜きスケールぐらいでいいや…
誰も見てないんだし!
それにしてもChopin、どう弾こう。うーん。
YouTubeで、運指もBOWINGも、はっきり見て取れる適当な演奏を探して、
とりあえずパクってから取り組もうかなぁ。
フルパワーは使えないのだし、出来るだけ手抜きしないと。
ペレーニやらピアティゴルスキーやら、
妙に体格のいいチェリストやら手のでかいヒトやらは
あまり参考にならないし。
ここらへんで、まずは右手(BOWING)・左手(ポジション)をパクって見て、
それから曲作りを考えようかな…
モティベーションが全然わかないのだけど、
ピアニストが来ればテンション上がるかな。
他におすすめの動画あったら教えて下さい。
P.S.
昨日は久々にdrawing系にハマっていました。
猫のスケッチ(自作)をスキャンした素材をフォトショで加工して、「作品」作ってました。
マウス操作は腱鞘炎を悪化させるから、控えていたのに。
つい夢中になってしまって時間を忘れて。
やっぱりデザイニングとか、心底好きなんだな、と思った。

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2012-09-24 (月) | 編集 |
10月8日の午後2時開演。
リストの交響詩「レ・プレリュード」と
ブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
今月頭にパート譜が送られてきて
同時に注文していたスコアやCDを入手して・・
手をつけてから本番まで(旅行の留守もあるので)実質3週間足らず。
曲を知ってればまだしも、知らないところからスタート。
オケ初めてと書いたけど、よくよく考えると
7歳ぐらいの頃に一時期、神奈川県青少年オーケストラというのに入れられてたことがあったのを思い出した。
チェロを始めたきっかけの最初の先生(東京芸大チェロ科出の先生)の関係で入団してたみたい。
でも2年ほどでその先生の紹介?お弟子さん?わかんないけど、
当時、芸大大学院生(後に愛知芸大の教授になってた)だった次の先生にバトンタッチになって、
多分その頃オケもやめてるんだと思う。
何にせよ私がそのオケで覚えてるのは、ルロイ・アンダーソンの曲を演奏会で弾いたことぐらい。
あとは小田原に演奏旅行があって、父親が私の付き添いで参加したこと。
なんでそれを覚えているかといえば、その時に支給された弁当が、
小田原だけに「かまぼこフルコース」の弁当だったために、食べられるものがひとつものなく、
お腹をすかせたから、というなんともトホホな記憶しかない。
(酒をたしなむようになるまで、かまぼこは苦手品目だった)
と、話がそれたが、何しろ今回、取り掛かって最初の一週間は倒れそうだった。
性格の問題なんだろうけれども、ちょうど仕事で言えば、触ったことのないDB製品(または開発言語etc)についてのセミナーを受け負ってしまった時のような感じだ。
まず最初にすべきことは、「自分の能力で何%まで処理できる自信があるか」の判別処理。
これを正確に判定するには、対象の全体像と特性をスキャンしなければならない。
だらーっと受け身で聴くだけで1時間あるドイツ・レクイエム。
スコアの情報量はものすごい。
フルオケ+合唱にオルガンまでついてるんだから。
いやはや、仕事と同じモードで全力集中してしまいました。
まず、CDとパート譜だけで初見でどこまでついていけるかのテスト。
歌が入ると楽器だけより難しい。
特に歌のソロが絡むと・・
→そういう部分に関しては、歌のスコアをスクリーンショットで音のセットで覚えてしまうのが一番早いという結論に達しました。
遅い楽章の方が拍を見失いやすいのは室内楽でも同じだよなぁ(ーー;
5曲めなんて最初「おや?」だったね。
歌は楽器以上に自由だから、古典、バロックみたいに拍がカッチリしてる曲はともかく
ロマン派以降になると、それがアウフタクトなのかどうかが耳だけではわからないところがありました。
わからなくなった箇所は音源を戻し、スコアを照合しつつ何度も確認したりして、
「ここはPKを目印に」「ここはTBが目印になるな」「これはクラリネットが入ったら」といった調子で、手っ取り早く自分なりの目印を決めて、とにかく音源とパート譜だけで分かる状態に持って行く。
音源を途中から聴いても、スコアの場所がすぐに特定できるようになる、が目標。
オケ慣れしてる方はもっと効率良く出来るのかもしれないけどね。
聴くだけと違って、曲の一部に入るために聴くのは世界が違って面白い。
まあこれは楽器を弾く人なら誰でもわかるよね。
ドイツ・レクイエム。
1曲めはもちろん、掴みの曲で良い曲だけども、
自分は2,3,6がすごく好きです。
技術的にという意味だけでだけならば、ドイツ・レクイエムは技術的にはほぼ全部弾ける曲だと思うけど、
拍落ちしない、迷子にならない、まで考えれば、やっぱ大曲だけに、しっかりスコアごと頭に入れておかないとダメですね。当たり前か。
で、そこに体力を消耗したけど、ようやく「あとは細かい何箇所かをさらって、現地の2日の練習で一気に行けばどうにかなるか」と思える状態になりました。
疲れた。
「みんなで渡れば怖くないのがオケなんだから、全部弾けなくていいんだよーー
真面目にやりすぎ」という指摘もあったけど、
どうせやるならソロと変わらないエネルギーを準備に注ぎたいではないですか。
・・・・・で、もう1曲のレ・プレ。
リスナーとしてみたとき、ドイツ・レクイエムは「名曲だーー」ですが
こっちの方はそもそもリストが全面的に興味を惹かないヒトなだけに「どうでもいい系」なのでしたが
やるとなると別問題で、全力で取り組んでいるところです。
綺麗なフレーズは沢山あるしチェロ的においしい箇所も結構ある曲です。
というか技術的には、こっちの方が難所は多いと思います。
それはもう「エチュード」だと思って、さらっております。
私にとって今一番不安なのは、
「オケって、ほら、2人で1つの楽譜みてるよね?
楽譜が遠いよね?
私、見えないかも」
これです。
よく見えてれば初見でOKな箇所も、見えないと無理です。
最大の対策は、「ほぼ身体が覚えるほど弾き込む」なのですが、
それには準備時間が不足です。
だって私、ピアノをさらう時間が最低2時間必要で、
チェロもレギュラーでやってる自分のレッスンの課題をさらうのに3時間は必要です。
エチュードひとつひとつ、時間をかけて丁寧にやりたいものが山積み。
「できるまでやる」がモットーなため、エチュード1曲に1時間かけることもある、というか、かけたいという表現のほうが近い。
それ以外にcurrentではなくnextのための下弾きをしたい曲がいくつかある。
その他にコレでしょ。
フルタイム従業員並の楽器稼働時間ですよ。しかも残業込みの。
「時間がないーーー」が口癖になってる今日この頃。
土日は縮小しようと思ったのに、
旦那に買い物もお願いし、夕飯まで作ってもらう体たらく。
家事はさぼっても仕事のメールは返さなきゃならないから、それはやるけど。
なんという不良主婦。
アホです。
最後になりましたが、ドイツ・レクイエム。
旅行前の金曜日、14日に、新日フィルの定期で聴く機会を頂きました。
団員のある方が、招待券をくださったのです。
なんという幸運。
しかも大変良い席でした。
すみだトリフォニーは自宅圏外ホールなので実は初めてでした。
これが素晴らしいホールでした。
ドイツ・レクイエムは、ちゃんとスコアにもオルガンが入ってるのですが、
オルガンのないホールでは省く、ということでad lib と記載されている、と
こういった解説が開演前に指揮者じきじきにありました。
で、もちろんトリフォニーには素晴らしいパイプ・オルガンがステージバックにでーーんとございます。
やっぱりオルガン付きが絶対素晴らしい。
音の厚みが全然違うと思う。
ソプラノのソリスト、素晴らしかった。
もう6曲目など涙を押さえることができず、演奏会終了後も頭の中でドイツ・レクイエムがぐるぐると回り続けておりました。
某国営オケはすごい指揮者に当たるとやっぱりすごいオケだなと思いますが
どっかの馬鹿な聴衆が、ひどい演奏でも即ブラボーするのに閉口しています。
今回、新日フィルのライブを初めて聴いて、これからもっと聴きに行きたいと感じました。
来年はブル5もあるみたいだし、ぜひ聴きに行こうと思います。
今はとにかく、早く10月8日の八ヶ岳音楽祭本番、
八ヶ岳のふもと、長坂の「ふるさとホール」で、この曲を弾くのが楽しみでなりません。
プロ・アマ混合オケというのも魅力です。
今年で6回めの音楽祭だそうで、地元でも人気でチケット確保が大変なんだそうです。
旦那にお願いをした結果、本番の日だけ聴きに来てもらえることになったので
1枚だけ取り置きを依頼したところです。
・・・・・・・・書き忘れましたが、オケ準備だけだったら ここまで死ぬ思いはしてなくて、
29日の夕方、ピアノとチェロ2部門でいつもの発表会に出るから死んでるんです・・
ピアノはシューベルト、チェロはフォーレなどの小品集で秋らしくいく予定ですが
M師匠が超多忙モードなのでその為のレッスンをお願いするのもはばかられる状態。
D師匠も1ケ月に1度もやっとな状態なのを私も熟知している状態。
だからというわけではなく、普段から
本番用にセカンド・オピニオン、サード・オピニオンをいただく形で、
特別レッスンをお願いさせていただく先生がおり、
その先生に26日に時間を割いていただけることになりました。
なんとなく好きな先生なので、こういった形で年に数回教えを請うのが結構楽しみであったりします。
ピアノはそこまで手が回りません。
月に2回レッスン受けられるので充分です。
すべてが準備不足、という最悪の結果にだけはしたくないので、
毎日倒れる寸前まで楽器室に篭ってる感じです。
29日の出番は16時ちょっと(ピアノ)と17時ぐらい(チェロ)の予定。
興味のある方はメッセくだされば詳細お知らせします。
・・・って、いないよ、そんな暇人。
さて明日、明後日も全日練習の予定。
がんばろ。
八ヶ岳が終わったら腑抜けになるかもね。

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リストの交響詩「レ・プレリュード」と
ブラームスの「ドイツ・レクイエム」。
今月頭にパート譜が送られてきて
同時に注文していたスコアやCDを入手して・・
手をつけてから本番まで(旅行の留守もあるので)実質3週間足らず。
曲を知ってればまだしも、知らないところからスタート。
オケ初めてと書いたけど、よくよく考えると
7歳ぐらいの頃に一時期、神奈川県青少年オーケストラというのに入れられてたことがあったのを思い出した。
チェロを始めたきっかけの最初の先生(東京芸大チェロ科出の先生)の関係で入団してたみたい。
でも2年ほどでその先生の紹介?お弟子さん?わかんないけど、
当時、芸大大学院生(後に愛知芸大の教授になってた)だった次の先生にバトンタッチになって、
多分その頃オケもやめてるんだと思う。
何にせよ私がそのオケで覚えてるのは、ルロイ・アンダーソンの曲を演奏会で弾いたことぐらい。
あとは小田原に演奏旅行があって、父親が私の付き添いで参加したこと。
なんでそれを覚えているかといえば、その時に支給された弁当が、
小田原だけに「かまぼこフルコース」の弁当だったために、食べられるものがひとつものなく、
お腹をすかせたから、というなんともトホホな記憶しかない。
(酒をたしなむようになるまで、かまぼこは苦手品目だった)
と、話がそれたが、何しろ今回、取り掛かって最初の一週間は倒れそうだった。
性格の問題なんだろうけれども、ちょうど仕事で言えば、触ったことのないDB製品(または開発言語etc)についてのセミナーを受け負ってしまった時のような感じだ。
まず最初にすべきことは、「自分の能力で何%まで処理できる自信があるか」の判別処理。
これを正確に判定するには、対象の全体像と特性をスキャンしなければならない。
だらーっと受け身で聴くだけで1時間あるドイツ・レクイエム。
スコアの情報量はものすごい。
フルオケ+合唱にオルガンまでついてるんだから。
いやはや、仕事と同じモードで全力集中してしまいました。
まず、CDとパート譜だけで初見でどこまでついていけるかのテスト。
歌が入ると楽器だけより難しい。
特に歌のソロが絡むと・・
→そういう部分に関しては、歌のスコアをスクリーンショットで音のセットで覚えてしまうのが一番早いという結論に達しました。
遅い楽章の方が拍を見失いやすいのは室内楽でも同じだよなぁ(ーー;
5曲めなんて最初「おや?」だったね。
歌は楽器以上に自由だから、古典、バロックみたいに拍がカッチリしてる曲はともかく
ロマン派以降になると、それがアウフタクトなのかどうかが耳だけではわからないところがありました。
わからなくなった箇所は音源を戻し、スコアを照合しつつ何度も確認したりして、
「ここはPKを目印に」「ここはTBが目印になるな」「これはクラリネットが入ったら」といった調子で、手っ取り早く自分なりの目印を決めて、とにかく音源とパート譜だけで分かる状態に持って行く。
音源を途中から聴いても、スコアの場所がすぐに特定できるようになる、が目標。
オケ慣れしてる方はもっと効率良く出来るのかもしれないけどね。
聴くだけと違って、曲の一部に入るために聴くのは世界が違って面白い。
まあこれは楽器を弾く人なら誰でもわかるよね。
ドイツ・レクイエム。
1曲めはもちろん、掴みの曲で良い曲だけども、
自分は2,3,6がすごく好きです。
技術的にという意味だけでだけならば、ドイツ・レクイエムは技術的にはほぼ全部弾ける曲だと思うけど、
拍落ちしない、迷子にならない、まで考えれば、やっぱ大曲だけに、しっかりスコアごと頭に入れておかないとダメですね。当たり前か。
で、そこに体力を消耗したけど、ようやく「あとは細かい何箇所かをさらって、現地の2日の練習で一気に行けばどうにかなるか」と思える状態になりました。
疲れた。
「みんなで渡れば怖くないのがオケなんだから、全部弾けなくていいんだよーー
真面目にやりすぎ」という指摘もあったけど、
どうせやるならソロと変わらないエネルギーを準備に注ぎたいではないですか。
・・・・・で、もう1曲のレ・プレ。
リスナーとしてみたとき、ドイツ・レクイエムは「名曲だーー」ですが
こっちの方はそもそもリストが全面的に興味を惹かないヒトなだけに「どうでもいい系」なのでしたが
やるとなると別問題で、全力で取り組んでいるところです。
綺麗なフレーズは沢山あるしチェロ的においしい箇所も結構ある曲です。
というか技術的には、こっちの方が難所は多いと思います。
それはもう「エチュード」だと思って、さらっております。
私にとって今一番不安なのは、
「オケって、ほら、2人で1つの楽譜みてるよね?
楽譜が遠いよね?
私、見えないかも」
これです。
よく見えてれば初見でOKな箇所も、見えないと無理です。
最大の対策は、「ほぼ身体が覚えるほど弾き込む」なのですが、
それには準備時間が不足です。
だって私、ピアノをさらう時間が最低2時間必要で、
チェロもレギュラーでやってる自分のレッスンの課題をさらうのに3時間は必要です。
エチュードひとつひとつ、時間をかけて丁寧にやりたいものが山積み。
「できるまでやる」がモットーなため、エチュード1曲に1時間かけることもある、というか、かけたいという表現のほうが近い。
それ以外にcurrentではなくnextのための下弾きをしたい曲がいくつかある。
その他にコレでしょ。
フルタイム従業員並の楽器稼働時間ですよ。しかも残業込みの。
「時間がないーーー」が口癖になってる今日この頃。
土日は縮小しようと思ったのに、
旦那に買い物もお願いし、夕飯まで作ってもらう体たらく。
家事はさぼっても仕事のメールは返さなきゃならないから、それはやるけど。
なんという不良主婦。
アホです。
最後になりましたが、ドイツ・レクイエム。
旅行前の金曜日、14日に、新日フィルの定期で聴く機会を頂きました。
団員のある方が、招待券をくださったのです。
なんという幸運。
しかも大変良い席でした。
すみだトリフォニーは自宅圏外ホールなので実は初めてでした。
これが素晴らしいホールでした。
ドイツ・レクイエムは、ちゃんとスコアにもオルガンが入ってるのですが、
オルガンのないホールでは省く、ということでad lib と記載されている、と
こういった解説が開演前に指揮者じきじきにありました。
で、もちろんトリフォニーには素晴らしいパイプ・オルガンがステージバックにでーーんとございます。
やっぱりオルガン付きが絶対素晴らしい。
音の厚みが全然違うと思う。
ソプラノのソリスト、素晴らしかった。
もう6曲目など涙を押さえることができず、演奏会終了後も頭の中でドイツ・レクイエムがぐるぐると回り続けておりました。
某国営オケはすごい指揮者に当たるとやっぱりすごいオケだなと思いますが
どっかの馬鹿な聴衆が、ひどい演奏でも即ブラボーするのに閉口しています。
今回、新日フィルのライブを初めて聴いて、これからもっと聴きに行きたいと感じました。
来年はブル5もあるみたいだし、ぜひ聴きに行こうと思います。
今はとにかく、早く10月8日の八ヶ岳音楽祭本番、
八ヶ岳のふもと、長坂の「ふるさとホール」で、この曲を弾くのが楽しみでなりません。
プロ・アマ混合オケというのも魅力です。
今年で6回めの音楽祭だそうで、地元でも人気でチケット確保が大変なんだそうです。
旦那にお願いをした結果、本番の日だけ聴きに来てもらえることになったので
1枚だけ取り置きを依頼したところです。
・・・・・・・・書き忘れましたが、オケ準備だけだったら ここまで死ぬ思いはしてなくて、
29日の夕方、ピアノとチェロ2部門でいつもの発表会に出るから死んでるんです・・
ピアノはシューベルト、チェロはフォーレなどの小品集で秋らしくいく予定ですが
M師匠が超多忙モードなのでその為のレッスンをお願いするのもはばかられる状態。
D師匠も1ケ月に1度もやっとな状態なのを私も熟知している状態。
だからというわけではなく、普段から
本番用にセカンド・オピニオン、サード・オピニオンをいただく形で、
特別レッスンをお願いさせていただく先生がおり、
その先生に26日に時間を割いていただけることになりました。
なんとなく好きな先生なので、こういった形で年に数回教えを請うのが結構楽しみであったりします。
ピアノはそこまで手が回りません。
月に2回レッスン受けられるので充分です。
すべてが準備不足、という最悪の結果にだけはしたくないので、
毎日倒れる寸前まで楽器室に篭ってる感じです。
29日の出番は16時ちょっと(ピアノ)と17時ぐらい(チェロ)の予定。
興味のある方はメッセくだされば詳細お知らせします。
・・・って、いないよ、そんな暇人。
さて明日、明後日も全日練習の予定。
がんばろ。
八ヶ岳が終わったら腑抜けになるかもね。

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